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More model information市内旧家所蔵の四分一葉々(1863-1940)作の「二宮尊徳翁像」。 高さ15㎝。かみしもを着て脇差を差す晩年の二宮尊徳(1787-1856)の座像です。目を細め、穏やかな表情をしています。底面には「葉々謹刻」と刻まれている。 葉々は、明治期の熊谷の俳人で、本名は清次郎。忍藩士鈴木錦三について学を修め、熊谷宿仲町の仏師坂田半兵衛に弟子入りして彫刻の修業をした。その後、内田朴山(1829-1892)の門に入り俳諧の道を修め、朴山の叔父内田五八九の庵号「皓々処」を貰い継承した。 晩年は木彫に励み、木彫百體會を企て、桜堤の枯れ枝を譲り受けて花霊を慰め、蓮生法師、二宮尊徳、聖観音、芭蕉像等を刻んだ。 この二宮尊徳像は、晩年に刻んだ中の一体と思われる。 この木彫百體會の趣意書(明治37年発行)が、菊池勇氏により紹介されている(2023菊池勇「四分一葉々と百體會」『熊谷市郷土文化会誌』第77号)。それによると、征露記念として、芭蕉、人麿、菅公、釈迦、観音、達磨、福神を金貮圓五拾銭で会員有志に頒けるとあり、この他に特別注文を受け付けている。したがって本像は、特別注文により作られたものと思われ、葉々から当家への贈状が入れられており、「東京彫工会会員四分一清次郎」の角印が押されている。
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