◯日光市 Nikko City, Tochigi Prefecture, JAPAN ◯戦国時代 The Warring States period (16 th century) ◯栃木県森林整備課数値標高モデル(0.5m)をもとに作成 CS立体図はCSMapMakerで作成 ◯文献:鹿沼市史編さん委員会編2004『鹿沼市史』
猪倉城の築城は正応年間(13世紀末)とも、大永年間(16世紀前半)ともいわれていますが、実際のところいつ誰が築いたかは不明です。天正18(1590)年の小田原征伐の直前には、鹿沼氏の居城になっていたと考えられています。この鹿沼氏は、もとは神山氏といい壬生氏の重臣でした。壬生氏は弘治3(1557)年に宇都宮家中での権力闘争に敗れ、現在の鹿沼市から日光市南部の領地を宇都宮方に奪われてしまいます。しかし北条氏と結ぶことで勢力を回復し、天正7(1579)年にはこれを奪回しました。その際神山氏を鹿沼氏に改姓させ、鹿沼城主としたと考えられています。鹿沼氏は同10年代になると宇都宮方に寝返ったため鹿沼城を追われ、天正13年頃には猪倉城に入り壬生氏や北条方と戦ったとみられています。小田原平定後、豊臣秀吉は佐竹氏や宇都宮氏に不要な城郭の破却を命じていますが、猪倉城はその時に廃城になったようです。城は田川右岸の独立丘陵に築かれています。山頂部に本丸が置かれ、そこから四方に延びる尾根に主要な曲輪が配されています。曲輪の一部は土塁で囲まれ、要所には堀切がみられます。なおその後の鹿沼氏ですが、会津の上杉氏関係の文書に、鶴ヶ淵城の普請並びにその防衛にあたったとの記載がみられます。この城は慶長5(1600)年の徳川家康による会津征伐に備えて改修されたものです(詳しくは「鶴ヶ淵城跡」を参照)。ここにみられる鹿沼氏が、かつての猪倉城主と同一人物であるとすれば、鹿沼氏は宇都宮氏改易後は上杉氏に仕えていたことになります。ただ、上杉氏の米沢転封には同行しなかったようで、伝承では猪倉に戻って土着し、その子孫は代々村役人を務めたといわれています。
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