福岡県今津誓願寺所蔵。重要文化財。九州国立博物館寄託。平安時代(中国:五代時代)10世紀。呉越国の王、銭弘俶がアショーカ(阿育)王の八万四千塔造立の故事に倣って造立した小塔の一つです。日本で11基しか見つかっていない非常に貴重なものです。
太宰府市の原遺跡からも銭弘俶八万四千塔の隅飾りが出土しており、この今津誓願寺のものと非常によく似ています。
この度、誓願寺様のご厚意で、原遺跡出土資料との比較資料として誓願寺銭弘俶八万四千塔の三次元データの公開を許可していただいております。
【参考】 「太宰府の文化財453」『広報だざいふ』2023.2(令和5年) 銭弘俶(八万四千塔(せんこうしゅくはちまんしせんとう)(原遺跡出土)一部抜粋 太宰府市指定文化財第32号有形文化財(考古資料)
太宰府市の北東部にある太宰府天満宮から西を望むと四王寺山の東南斜面が見えます。ここには、中世山岳寺院「原山(はらやま)」(原山無量寺(むりょうじ)、原山無量寿院(むりょうじゅいん)、原八坊(はらはちぼう)とも称す)という天台宗寺院跡である原遺跡があります。
この原山では大変珍しい遺物が出土しています。それは銭弘俶八万四千塔(以下、銭弘俶塔)という小型の銅製塔の一部で、「方立」と呼ばれる塔笠部の四隅に取り付けられる馬の耳のような隅飾です。出土場所は12世紀から13世紀に存在したと推定されている礎石建物跡の南側斜面地の下方の土地からでした。この銅製塔は10世紀後半に中国江南の国(こく)第5代国王の銭弘俶により作られた法(ほう)舎利塔(しゃりとう)(仏教の経典を収めた仏塔)です。名前の八万四千とは実際の数ではなく、無数の塔という意味が込められています。
原山の銭弘俶塔は、誓願寺のものと大変良く似ており、栄西と原山僧尊賀、誓願寺と原山と、銭弘俶塔が結ぶ不思議な縁が感じられます。銭弘俶塔は遠くインドからアジアを経由して日本に伝わった仏教を体現し、また仏教美術工芸品としての希少性からも大きな価値があります。(文化財課 髙橋学)
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